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extra+ordinary |
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どんな名文も、頭の中を一時的に総括したスナップショットにすぎない。いかに自分でよく練り考え推敲しまとめたのだからといって、囚われすぎてはいけない。
今年初めて行ってみた。駐車場に車を入れて公園の方を見ると、なんか様子が変。よく見たら公園全部の芝生地帯が、50センチくらい伸びた他の草に負けて芝生でなくなっている。今年になってから一度も刈り込まれた様子がない。
小さい子用の水遊び池も、乾いた苔がついた状態のままカラカラに干上がって底に石が転がっている。
そういう状態なので誰も遊んでいる親子がいない。隣接した市営パークゴルフ場の人出とグリーンがやけに目に眩しい。
どうなってんの?
原盤に不忠実という点でCCCDと同じか。ねえ、そこまでやって何か楽しいのか?
自省…。
7時半起床8時半ごはん。10時半頃になって上記の通り紅葉山南に行くものの、殺伐とした気分になってしまい、口直しに紅南公園に寄って遊ばせていたらいつのまにかスボンが濡れている…。
着替えさせて、家に帰って昼飯。食べ終わってしばらくしてから自転車でヤムの散歩に行き、戻っておやつ。その後は夕食をはさんでさんざんパンツを洗濯したり干したりお尻洗ったりの繰り返しだった。
7時に晩ごはん、皿を洗って2階に上がって嶺を寝かせる。8時50分。
大泉さんはサイババショットT1をお使いでした。いやあやっぱあのユルさがいいよねえ水どうは。
「今の国語教育では、長い文章を書かせたりしないし、自分の考えをまとめさせるという経験もほとんどない。」って本当なんでしょうか?(私の記憶では、やたらと「自分の気持ち」を表現する文章を書かされたような。落ちこぼれだったのでうまく書けませんが(あ、今でもか…))
今の国語教育にかけているものは気持ちではなく事実を書く訓練だと思っていたので非常に意外です。
事実といっても広義でいえば人の気持ちの一部だと思うんですけどなんかズレてるでしょうか。
わたしゃ国語の授業については、小学校の読書感想文攻撃以外は苦にも楽にもならなかったので、特に記憶にないんです…。(だから引っかからなかった)
ズレてますね…
事実が人の気持ちの一部でしかないと言う立場で書かれたトラブルレポートを見ても、私は解析できる自信はありません。事実は何か、(もし必要なら)それに対しての推論は何かを区別して書いていただかないと(事実を確認するための質問の)仕事が増えて大変です (^^;;
#読書感想文攻撃は苦になってませんね。たぶん適当に書くすべを身に着けていた(か攻撃を受けていなかった)のでしょう。
すごく具体例が。なぜトラブルレポート。。
人の気持ちの一部でしかない、というか、事実は1つでも人に依って側面(見え方)が違うんじゃないか、という話なんですが…やっぱりズレてます?
えっと、その1つの事実を(見え方は違っても良いのですが)正確に記述する能力を持っている人が少ないなぁとトラブルレポートを読むたびに感じるわけです。国語教育に求めるのは間違っていますか?
論理と感想がごたまぜになっても、切り分ける必要を感じないかもしくは気付かないまま、というのはもはや国民性といえるのでは…。教育で治せるでしょうか。(なんか年々この傾向が酷くなっている気がしますが)
えっと、はっきり言ってしまうと日本語そのものの特性ですね(論理と感情がごたまぜ)。そうはいっても教育で治す努力くらいはしたほうが良いのではないかと(^^;;